秋色2
「お帰りなさいませ、和貴様」
予定よりも随分早く帰宅した清澗寺和貴は、自分を出迎えたのが執事だけだったことに眉をひそめた。いつもならば、和貴が一人で出かけた日は深沢直巳が出迎えるはずだ。
「ただいま。深沢は?」
「さあ……私も今まで部屋に籠もって仕事をしていたものですから」
「そうか」
今日の楽団の演奏は今一つで、休憩時間に帰宅してしまったこともあり、和貴は機嫌がいいとは言えなかった。疲労のせいか一日倦怠感が抜けなかったため、甘いココアでももらおうと、和貴は内藤にコートを預けて厨房へと向かった。
「駄目ですよ、鞠子さん」
そんな声が聞こえてきて、和貴は足を止めた。
「それでは力が入りすぎてしまう」
「じゃあ、こうかしら?」
厨房の扉のわずかばかりの隙間から、いかにも親密そうな二人のそんな声が漏れ聞こえ、和貴は驚きにその場に立ち尽くした。あの二人が、厨房でいったい何をしているというのだろうか。
無論、鞠子と深沢が親しくしているのは悪くはない。彼らに特別な感情がないことがわかっていても、それでも――時として苦しくなる。何よりも鞠子はこのごろ随分美しくなったし、聡明で心優しい少女でもある。何から何まで深沢とはお似合いだった。
――駄目だ。
鞠子にまで醜い嫉妬を向けることだけは、あってはならないはずだ。その光景を覗く勇気もないまま、ココアを諦めた和貴は自室へと引き上げた。
気分が重い。
まるで胸の奥にコールタールが詰まっているかのような、べったりとした不快感だけが広がっていた。
ネクタイを緩めただけで寝台に横になり、和貴はうつらうつらと眠りに引き込まれていく。
と。
扉を叩かれる音が聞こえた気がして、和貴はうっすらと瞳を開ける。身を起こそうかと迷ったときにドアが開き、深沢が顔を出した。
「――和貴様、気分が優れないのですか?」
「疲れただけだ」
不機嫌な口調で言ってのけた和貴は、振り返ってぎょっとして目を瞠った。
深沢が見慣れないものを持っていたからだ。
「……何だ、それは」
「南瓜です。鞠子さんが近所の牧師さんからもらってきて」
「それくらいわかる。でも、どうしてそんな穴が開いてるんだ」
子供の頭ほどある橙色の南瓜は目や口がくり抜かれており、不気味な顔が描かれている。そして、その中には蝋燭が灯されていた。電気を消してそれを窓辺に置くと、橙色の光があたりに滲んでいささか幻想的な眺めになる。
「今日は、ハロウィンという基督教のお祭りだそうですよ。鞠子さんがこのランタンを和貴様に見せたいとおっしゃったので、二人で作ってみたんです」
「……道貴はいいのか」
「道貴さんの分も作りましたから」
そうか、と呟いた和貴は拗ねていた自分が恥ずかしくなって俯いてしまう。
「もう一つ持ってきますから、待っていてください」
和貴の生返事を聞き流し、すぐに深沢はトレイを手に部屋に戻ってくる。そこにはティーカップと小さなパイの盛られた皿が載っていた。
「これは?」
「食べてのお楽しみですよ」
小さく切ったパイを直に手で掴み、深沢が和貴の口元にそれを持ってくる。まるで条件反射のように和貴はそれに唇を寄せ、軽く囓った。
さくっという軽い食感と共に、甘い南瓜の味が口腔に広がる。
「これも、おまえが……?」
「ええ。美味しいですか?」
その言葉に応えることもできず、和貴は俯いてシーツを握り締めた。
まるで何もかもが見透かされていたみたいだ。
「――何で、わかるんだ。僕が……」
「甘いものを欲しいと思っていたか、ですか?」
「……そうだ」
「見ていればわかりますよ。いつもあなたを見ていると申し上げたことがあるはずですが」
くすりと深沢は唇を綻ばせた。
「――さて、ではパイのお代をいただけますか?」
「お代? 何が欲しいんだ?」
「あの蝋燭が消えるまで……あなたを独り占めする権利です」
深沢はそう囁いて、和貴の顎を持ち上げる。南瓜味の甘いキスに、和貴は思わず頬を染めた。
END
Back
Home