New Year's Night
今頃、日本の清澗寺家では年始の客など迎え入れているのだろうか。
昼過ぎに窓の外を見上げた清澗寺国貴は、ふっと息を吐き出す。
国を離れてからもう何年も経つのに、まだ、脳裏からはあの家のことが消えない。
きな臭い空気が立ち込めており、そろそろ上海を出たほうがいいのではないか、と昨日も寝しなに恋人の成田遼一郎と随分話し合ったせいかもしれない。
「国貴様?」
背後から遼一郎に話しかけられて、国貴は振り返る。ちょうど雑煮を作ってくれたらしく、彼は椀を二つ運んできたところだった。三つ葉の香りがあたりに満ち、国貴は思わず微笑む。
「早かったな」
「あまり材料がなかったので、簡単なものですが」
「そうなのか?」
「うちは母が仙台出身なので、雑煮にこんな風にハゼの焼き干しが入るんですよ」
遼一郎は身振りでそれを示す。
「清澗寺の皆様は、やはり京風ですか?」
「うちは……そういう習慣は、なかった」
清澗寺家は公家の中でもかなり特殊な風習を持っていたし、もとより、父の冬貴がそう言ったことにこだわる人間ではない。
彼の頭に正月などという概念があったかどうか、それさえも疑わしい。
もっとも、正月になるとさすがの伏見義康も実家に戻らざるを得ないので、彼の不在を理由にようやく特別な事態を認識するのかもしれないが。
とはいえ、あの父のことだから、伏見がいなければいないで別の男をその褥に引っ張り込むだけの話だ。
不快な記憶が甦ったせいで黙り込んだ国貴を見て、遼一郎は困ったように唇を引き結ぶ。それからそっと頬を指先で撫でられて、国貴は思わず微笑んだ。
「……すみません」
「どうして謝るんだ?」
「上手く、いろいろなことを言えなくて」
「馬鹿だな……。そこがいいんだ」
そういう不器用な慰撫しかできない遼一郎という男だから、自分は何もかも捨てたいと思ったのだ。
本当に……それだけなのに。
今はただ、キスを、してくれればいいのに。
そう思った刹那、遼一郎が身を屈めてくる。
触れてきた唇は優しくて、国貴は思わず笑みを浮かべた。
雪が、降ってきた。
自室の窓から外を眺めていた清澗寺和貴は、背後に人の気配を感じて振り返る。
いつの間にやって来たのか、深沢直巳がドアを後ろ手に閉めるところだった。
手には水差しとグラスの載った盆を持っている。
「寒いですね」
「ああ。鞠子は?」
「百人一首でお疲れになったらしく、もうお休みに」
「そうか」
和貴は頷いてから、そしてはっとして深沢を見やった。
「一つ言っておくが」
「はい」
「姫始めとやらは禁止だからな。明日は鞠子のために空けてあるんだ」
以前、深沢に姫始めだと言われて緋襦袢を着るよう言われたうえ、さんざん嬲られたのだ。明日は鞠子と初詣に行く約束になっているし、立てなくなるような真似をされるのは避けたい。
だが、彼に触れられると自分は深沢を、それこそ明日は立てなくなるまで求めてしまうから……今日は我慢するしかなかった。
「しませんよ」
いつになく優しく囁いた深沢の指が和貴の頬に触れ、そっと上を向かせる。ベッドに腰かけていた和貴が不安げなまなざしを向けると、彼は甘く笑んだ。
「約束するか?」
「ええ」
淋しさが半分、それから、安堵が半分。
深沢はほっと力を抜いた和貴の唇に自分のそれを重ね、軽く舌先で歯列を叩く。まるで遠慮がちなノックのような仕種がおかしくて薄くそこを開くと、彼の肉厚な舌が滑り込んできた。
くちづけはいつになく濃密で、それに酔っているあいだにじわりと思考が溶けてくる。気づくと深沢に押し倒された和貴は、もどかしげにその細腰を揺らめかしていた。
我慢しなくては。
下腹部にじわりと疼痛が生まれてきたので、和貴は必死で深沢を押しのけようと試みる。
「もう……やめろ……っ」
「あなたも感じているのに?」
「姫始めはしない約束だって……」
下衣を乱され、布地のあいだからそれに直に触れられて和貴は頬を染める。
「あなたは女性ではないのだから、『姫』ではないでしょう? 約束を破ったことにはなりません」
「な…っ…」
いつも人のことを雌犬だの何だのと虐めるくせに……!
「ず、ずるい……」
立ったままであってもそんなところを撫でられたら、もうひとたまりもない。
「何とでもおっしゃってください」
「…この…っ…」
「文句はあとで聞きますよ」
「……や、やだ……やめろっ……ばかっ、そ…な……とこ…ッ…」
「いいから、脚を開きなさい。それでは脱げないでしょう?」
「嫌……脱がせ、る…のは…っ……」
「脱がせなければしてあげられませんよ。あなたもご自分から脚を開いたくせに」
「…ちがう……やっ、……舐めな……ああっ!」
「こんな卑猥な音がするのは、私が舐めているせいだけではないでしょう? 聞こえますか、和貴様」
「聞こえ……な……」
あまりにも淫らな仕打ちに、たまらずに啜り泣きが溢れ出す。
「それなら、どれほど濡れているのかを触って確かめてごらんなさい」
「い、いや……」
「確かめないと、おつらいままですよ」
逡巡した時間は、己が知覚するよりは短かったかもしれない。
「……っ」
和貴が喘ぎを押し殺しながらそれに従うと、深沢は低く笑った。
「よくできましたね。さあ、次はおねだりです。何が欲しいかおっしゃるまで、してあげませんよ」
「い、言えない…っ……」
「一年の計は元旦にあり、と申します」
どういうことだ、と和貴は潤んだ瞳で深沢を睨みつける。
「つまりあなたが素直におっしゃらなければ、今年はそういう一年になるということですよ。もちろん、私はそれでかまいませんが」
涼しい顔で言ってのけた深沢に、和貴が怒りの言葉を投げつけることができたのは、それから約八時間後のことだった。
「……クラウディオ」
ベッドに横たわった清澗寺道貴が遠慮がちに呼びかけると、シーツを取り替えてくれたばかりのクラウディオ・コルシ・バルディ・アルフィエーリは、「何だ?」と振り返った。
「クリスマスのミサも、新年のミサも欠席しちゃって……その、大丈夫なのかなって」
「そうだな。道貴、君のおかげで私は随分と不信心な人間になってしまった」
クラウディオは小さく微笑み、ベッドに腰かける。その蒼い瞳で見つめられると、道貴はいつもどうすればいいのかわからなくなってしまう。昏い色合いの金髪が落とした証明の下で揺らぎ、その色合いに見惚れているうちに、頬に軽くくちづけられる。
「じゃあ、懺悔しなくちゃ」
以前、クラウディオに連れていってもらった教会に告解室があったことを思い出しながらそう言うと、彼は甘く囁いた。
「君をどうしようもなく愛しすぎてしまったことを、神に懺悔しろと?」
クラウディオにそう問われて、道貴は真っ赤になる。
確かに、カトリック教徒のクラウディオがミサを二回も休んでしまったのは、道貴が悪いといえば……悪いのだ。
「そ、それは……懺悔しなくていいです」
だって嬉しいし、と道貴は内心で呟く。
「では、君が懺悔する必要があるんじゃないか?」
「え?」
「こんなに可愛くて愛しくて、私をいつも誘惑してやまない」
誘惑しているのは、クラウディオのほうだ。その美しい瞳に覗き込まれると、自分は言葉さえも忘れてしまいそうになる。
「今もそんな顔をして、私を困らせる」
「――でも、それも……僕が悪いわけじゃない気がします……」
「ではお互いに無罪放免というわけだ。これで懺悔をしに行く必要もない」
「……はい」
何となく納得して頷いた道貴に、クラウディオがキスを仕掛けてくる。
「ほら、こんなに肩が冷えてしまった。もうベッドに入ろう」
「うん」
クラウディオに肩を抱かれながらベッドに潜り込んだ道貴は、甘いキスにうっとりと酔う。抱き込まれた彼の胸に頬を擦り寄せると、クラウディオが「ずるい手だ」と囁く。
「え?」
「そんなことをされたら、君が欲しくならないわけがない」
こめかみに押し当てられたくちづけに身を震わせて、道貴は彼の首にしがみつく。
その腕に身を委ねる幸福を知ってしまったら、もう後戻りなんてできない。
今の自分たちは罪も犯していないし悔いるべきこともないのだから、懺悔の必要はない。でも、とりあえず次の日曜日には、絶対にクラウディオをミサに行かせなくては。
優しいくちづけに溺れつつ、道貴はそう心に決めた――どこかで、それは果たされないことだと知りつつも。
雪の降る音が聞こえるような、気がする。
夜半過ぎに目を覚ました伏見義康は、同じ寝台で眠る清澗寺冬貴の娟麗な美貌を見つめた。
何年経とうとあまり年を経た様子を見せない情人の容貌は麗しく、どれほど愛でていても飽きることはない。
「……義康?」
「どうした、冬貴」
「起きていたのか」
寝惚けたような声はどこか甘く、そして気怠い。
「今し方、目を覚ました」
ふうん、と冬貴は微笑み、大きく伸びをしてから伏見に覆い被さってきた。
「それなら、起こせばいいのに」
「どうして」
「おまえを欲しがる理由がいるのか?」
「……正月くらい、ゆっくり過ごしたらどうだ」
「おまえは、私よりも正月のしきたりとやらが大切なのか」
媚びを含んだまなざしで問われて、伏見は苦笑を漏らす。
自分がこの美しい魔物を大切にしなかったことがあったろうか。
「では、好きなようにさせてやる。どうしたい?」
冬貴が耳打ちした答えの凄まじさに一瞬言葉を失ったものの、伏見は「いいだろう」と頷いた。
新しい年も、例年と同じく爛れた一年になることは間違いないようだった。
END